今日はマニアックな話題。
『裏切りのサーカス』で登場するミスターウーの曲について考えたので、みんなに共有しておくね。
ギラムが資料保管室に潜り込んでいる時に挿入されたのが、ジョージ・フォーンビーの楽曲“Mr. Wu’s A Window Cleaner Now(ミスターウーは窓の清掃員)”。コミックソング(英語圏ではノベルティソング)というジャンルの曲で、日本では「スーダラ節」とか「PPAP」なんかも含まれるおどけた楽曲の総称だ。
Mr. Wu’s A Window Cleaner Now
Mr. Wu no longer has a laundry. Sad to say the business was flop. (ミスターウーはもうランドリーをやってない。ビジネスがポシャったんだそうだ。) He shouted 'what a hope' as he chewed a bar of soap (「希望なんてない」と叫んで、石鹸をかじる。) And then put up the shutters of the shop. (そうして店のシャッターを上げた。) Said Mr. Wu, ""What shall I do?"" and Mr. Wu's a window cleaner now. (ミスターウーに言った。「私に何かできないかしら?」 いま彼は窓の清掃員) The laundry, it didn't pay. (ランドリーでは食っていけない。) Now there's no clean collars down Limehouse Way. (ライムハウスの街にもうきれいな襟はいない。)
ロンドン中部のライムハウスは、テムズ川を伝って届けられた石炭の集積倉庫が立ち並ぶ水運の要衝だった。チャイナタウンや娼館、スラムが立ち並び、近所では切り裂きジャック事件が横行する治安の悪いエリアだ。
2番以降の歌詞では、殺人が起きても働きまくったり、ラッキースケベで鼻をへし折られたりしながらも、ミスターウーが窓清掃に勤しむ姿が描かれる。コミカルで陽気なジョージ・フォーンビー、かわいい。
ミスターウーがギラムをかき立てる
とってもチャーミングなミスターウーだが、『裏切りのサーカス』ではギラムの焦燥感をあおり立てる。なぜこの曲が選ばれたのだろう。
そのヒントは、歌詞の末尾に隠されているのではなかろうか。
Now there's no clean collars down Limehouse Way.
(ライムハウスの街にもうきれいな襟はいない。)
1930年代、ロンドンの肉体労働者は機械油やホコリを被ることからブルーカラーを着ていた。今ではほとんど差別用語だ。
この場面においてミスターウーは、汚い仕事を暗示している。
作戦遂行のため、内通者が車の修理工として電話をかけ、盗みのチャンスを作る。サーカスの盗聴はアレリン陛下の耳にも届き、去り際に口ずさまれる。トカゲの尻尾として切られる覚悟で、仲間を疑る汚れ仕事をするのは、計り知れないプレッシャーだろう。
焦りと後ろめたさ。もうどうしたらいいのって感じ。そんな思いをしたのにひょっこり現れたリッキーターに、ギラムもブチ切れである。
『裏切りのサーカス』は随分前に見た作品だけれど、ハイコンテクストすぎて記事に起こすのに時間がかかっている。綿密に仕組まれたロジック、演出に覆われたサスペンス。やっぱり裏切りのサーカスは大正義。