映画『インセプション』天ドンをアートへと昇華させてしまうノーラン

「なくなくなくなくないって今どっちだ?」


深みにはまっていくほどに、リアルの所在なさとフィクションへの愛着がむくむく増してしまう。触感の薄まった”新しい日常”時代にこの映画をみるのは、あまりにも破壊的な体験だった。薄氷の層を突き崩すように、次々割れるのがわかっている。そこに気持ちのよさまで感じてしまう。『インセプション』は、作り物にリアルを突き動かされるようでいて、その実フィクションの中に引き込まれてしまう体験が味わえる作品だ。


ある程度前評判は知っていたんだけれど、じんわりした読後感と切れの良い気味悪さがなおも残る。

難解なのに引き込まれるのは天ドンのおかげ


ノーラン節炸裂のこだわり演出と、ハリウッド大衆映画らしいグゥ〜〜〜ッって映像表現。それは歌舞伎役者のにじるような見栄のごとし。何こすりもされてるし、知ってて見たからこそ、裏返る街の場面にはもう「イヨッ!ノーラン屋ーーー!!」とか思ってた。もはや達人の芸能。


風呂に突っ込んでキックすれば夢の中でも入水する、回転するホテルホール。そこまでやるかを体現してくれるのがクリストファー・ノーランなのかもしれないね。ガラスを踏む。窓から飛び降りる。どこかデジャビュを感じる演出は、お笑いでいう天ドンなんだ。繰り返すことはおもしろさ。何度もおなじ体験をしているうちに、「アッこれ伏線だ」という自分だけの体験を得て、まんまとこの作品が好きになってしまう。

それに気づいたときには、ノーラン主宰の夢の中。本当すごいよ。

僕たちは何度も夢に接続している

個人的におもしろかった設定が、各階層の夢を誰かが主宰しているところ。”ロバートの夢”って感じで、夢世界にホストがいるんだ。

感覚的にはコンシューマーゲームのオンラインプレイに似ている。どこか現実的な手触りのない感覚は、ゲームやVRなんかと結びつくところがある。Among usとかモンハンとか、誰かがルームホストになって、そこにみんなで集まる形。顔だけが浮かぶオンライン飲みはつらいけど、ミッションがあれば人は集まれる。難解映画でこんな感覚がよみがえるなんて思わなかった。

『インセプション』はSFジャンルの中では魔術的な、仮想現実ならぬ夢想現実の世界。DRとか言うのかな。魔法のような技術を使って誰かのために複層的にループを繰り返すというプロットは、ある種の金字塔にもなっている。

泣きべそディカプリオはじめ、魅力的な俳優陣

本作でもディカプリオは相変わらず、あるはずのない理想の中で大切な人に囚われている役回り。きっと奔放で切ない彼の表情がそうさせるんだろうね。


ベストアクターは、渡辺謙演じるおじいサイトー。最後のほうはかわいく見える。にしても作中のサイトー、全体的に待遇がかわいそ過ぎないかな?

僕らのトーテムってどこにあるだろう

自分の所在がよくわからなくなったら、僕たちは何をトーテムに現実性を確かめればいいんだろう。何かのモノだろうか。場所?人?遊び?何をしていたら正気でいられるのか。ずっと家にいてOnOffの境があいまいになってくると、意外とコレって断言するのは難しい。

小さくて重みがあって、人に知られず携帯できる特徴的なモノ。


ちなみに地震酔いでいま本当に揺れてるのかわからなくなったときは、目薬の水面を見るとよい。トー

テムとしての目薬を備えよ。みんな。

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