『アメリ』映画評論|アメリがたどり着いた運命って何だったのか。

出典:https://www.hulu.jp/amelie
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クレームブリュレブームの火付け役

映画アメリは日本でも爆発的な人気を呼び、”第二次クレームブリュレ・ブーム”をも巻き起こしました。90年代からイタリア発祥のティラミスと共に並び立つ人気のあった、クレームブリュレ。映画公開の2001年になると、原宿に旗艦店をおいたフレンチカフェ「オー バカナル」が、”クレーム・アメリ”の品目でスイーツを提供し始めます。

ーーーオープンテラスに腰をおろして、ギャルソン(男性給仕)に出されたブリュレをつつく。そんなアメリの世界観は、当時の人々の心をガッシリつかんだわけです。ミーハーといえばミーハーですが、それくらい目覚ましいものが詰まっていて、密度のある映画なのもわかります。

筆者も例に漏れず、パリパリカラメルに挑戦。勝手がわからず最初に全部砕いてしまって、連れの友人から「ちょっとずつやるもんなんだよ」なんて言われた記憶を鮮明に覚えています。

「殻を破る」ということ

アメリの人生を語るうえで大切な考え方、それが「殻を破る」ということ。

(ドミニク・プルトドーに箱を返す)

この作戦が成功したら、自分の殻を破ろうと決意した。

アメリ自身も自分が殻の中に閉じこもっていることを自覚していて、その殻を破るきっかけを待っていたことがわかります。単に「殻を破ること」のイメージが投影されているというだけでなく、アメリ自身がカラメルをパキパキ割っていくことに楽しみを見出していたからだとも取れるでしょう。

とにかくうるさい登場人物たち

他人と真正面から向き合うのが苦手で、活発ながら内向的なアメリ。それとは対照的に、登場人物たちはうるさすぎるくらいに元気で、自らの偏執ぶりをひた隠すことなく、他人と真っ向から対峙しています。

個性がはっきりしていて、どのキャラクターにも愛着が湧いてくるのではないでしょうか。

その個性を作り上げているものが、登場人物たちの「好き」と「嫌い」です。

好きなこと・嫌いなことで表される人物像

アメリを初め、登場人物たちにはそれぞれ「好きなこと・嫌いなこと」が明確に描かれています。キャラクター設定としては当たり前かもしれませんが、それが明確に・手早く紹介されていることが映画『アメリ』の特徴。前半のナレーションがそれを助けてくれています。

アメリにも好き嫌いがあって、作品に登場する人物たちを好き嫌いで判断しています。善い人・悪い人はいなくても、アメリ にとってただ好きか嫌いかどうか。実際、アメリは余裕で住居侵入を犯します。好きなら陰ながら幸せにしてあげるし、嫌いならあの手この手でその人を貶める。子供っぽいけどとても自由で痛快な性格に、ファンは心惹かれるのかもしれません。

結局、アメリが発見した『運命』は何だったのか。

発見することが得意だったアメリ。原題『アメリ・プーランの素晴らしい運命』にある通り、物語のラストでの彼女は、幸せで素晴らしい運命にたどり着いたことがわかります。

ではその「運命」って何だったのか。

ニノとの遭遇に失敗し、水になって落ち込む。さらにはその彼がジーナとお店を出て行ってしまい、自分が喜びをもたらしてきたはずの人たちも、何だか喧嘩や不幸ばかり。そんな運命のほころびに、アメリはニノが家へ来てくれる妄想を巡らせますが、ビーズのカーテンを揺らすのは仲良しの猫だけ。アメリの”作戦”は失敗に終わってしまった、かのように思われます。

ガラス男の助言

すると悲しみの中でなるドアベル。期を見計らったガラス男の助言に、こんな言葉がありました。

かわいい私のアメリ、お前の心はガラスのように脆くない。思い切って人生にぶつかっても大丈夫。もしこのチャンスを逃してしまったら、時は過ぎていき、お前の心は私の骨のようにすっかり乾いて、脆くなってしまう。それは間違いない。

さぁ彼のもとへ、行きなさい。

これまで絵画を通して語りかけていたガラス男ですが、彼もこれほど真っ直ぐに助言をくれたことはありません。アメリの卑怯かもしれない”作戦”の意趣返し。彼女は誰かからヒントを得るのではなく、誰かの言葉に直接動かされます。アメリが関わった人たちが、アメリ自信を動かしていく。これもアメリがたどり着いたひとつの運命です。

誰かと喜びを分かち合う人生

アメリがニノと過ごしたあとのシーンで、本物のドミニク・ブルトドーが鶏肉のおいしいところを孫にあげています。彼は何年も会っていない娘のもとを訪れ、彼自身の幸せをお孫ちゃんに分けてあげる人生を選びました。

アメリは、自分だけの楽しみにひたる人生の殻を破り、誰かに喜びを分け与えてあげる人生を選びました。でもドミニクとは面識がないように、誰かに干渉されたり、誰かと喜びを分かち合う人生を知りません。

この作品の最後、アメリがたどり着いた運命とは、誰かと喜びを分かち合う人生だったんじゃないかと思います。最後にアメリとニノが原付に乗って街をいくシーンの中、アメリは一瞬こちらに目をくれます。その表情は、それまでのアメリとは違う満たされた顔。まるで人が変わったようだけど、作中で出た”愛の抜け殻”でも”太陽のない花”でもない表情。ここでは愛を分かち合ったアメリの姿が表現されていました。

息を飲むようなキスシーン

ラストの話を終えたあとですが、どうしても語りたいところが、アメリとニノが初めて直接向き合った場面。

唇の端、首筋、眉尻のキス。息を飲むようなシーン。

それまでコメディ多めで進んできたこの作品の中で、時間が止まったかのように研ぎ澄まされた、ドラマティックな場面です。映像では伏線やメタファーを多彩に織り込むジュネ監督でしたが、このキスにどんな意味があるのかが心にひっかかりました。

首筋のキスはお化け屋敷でのできごとに由来するのかと思ったんですが、すべてに意味があるわけでもないのかも。アメリもこの時ばかりは”作戦”がなかったでしょうから、彼女の一番真ん中にある行動力がそうさせたのかもしれません。この時点でアメリはすでにニノとの間にある愛を自覚していて、それまでの伏線に動かされるのではなく、運命を受け入れたアメリとして行動していたのでしょう。

アメリ第三形態は、とっても積極的ですね。